【番外編】新・人にやさしくとは。

新型コロナウィルスの感染が拡大しています。
収束までどのくらいかかるか、果たして収束するのか。
企業も大変ですし、誰もが大変な思いをしているのは間違いないです。
この感じは東日本大震災の時と似ています。
ふと思い出したので。


震災に関するエッセイの中で伊坂幸太郎氏のものが一番好きだ。
【「いずれまた」  伊坂幸太郎
仙台の駅前を通りかかったところ、駅の建物に覆いがされていた。
復旧工事のためなのだろう。足場やクレーンも見える。
眺めているうちに、中学生の頃、手首を骨折した時のことを思い出した。
その、覆われた仙台駅が、包帯を巻かれた腕と重なった。
骨を折った10代の僕は、痛みや吐き気以上に、
「もう絵も描けないし、バスケもできないのかな」
という不安に襲われていた。
もちろん、骨はいずれ繋がる、と分かってはいたものの、
接骨院で見たレントゲン写真には、はっきりと切断された骨が写っており、
それが元に戻るとは到底、思えなかった。
包帯で固定してはいたが、
少し動かすだけで手の芯に嫌な痛みが走るため、
学校に通い、日常生活を送りつつも、
常に暗い思いが付き纏(まと)っていた。
 
とはいえ、その、折れた手首を労(いた)わりながら、
無理をせぬよう気をつけ、接骨院に通い、
1日1日を過ごしているうちに、やがて包帯は取れた。
手首は動き、絵も描けるようになり、ボールにも触れた。
そしてそのうち、自分が骨折した事実さえ忘れた。
 
もちろん、この震災が、僕の些細(ささい)な骨折と似たようなものだ、
なんてそんなことを言いたいわけではない。
ただ、「同じようになればいいな」と願う気持ちはある。
震災で僕たちは、
僕たちの町は、
もっと範囲を広げれば僕たちの国は、
あちらこちらの骨が折れた。
心が骨折したとしか言いようのない感覚に襲われている。
 
この、骨折がいつか治り、
また何事もなく飛び跳ねることができるようになるとは、
僕にはまだ思えない。
先行きは分からない上に、
原発事故なる問題もあるのだから、
絶望的になるなというほうが無理がある。
これから状況が落ち着いてくれば、
また別の種類の不快な悩みが出てくる可能性もある。
心無い人が現れ、被災地の人たちが苦しめられるような予感もある。
でも、そうであっても、
包帯をしっかり巻き、
自分たちを労わり、
時にリハビリをし、
そして何よりも捨て鉢にならずに日常を続けていけば、
いずれまた、骨は繋がるのではないか、そうなればいいな、
と縋(すが)るように思う自分がいるのも事実だ。
正直なことを言えば、震災後、ずっと途方に暮れていた。
僕自身は、大きな被害はほとんど受けていないにもかかわらず、
役に立たない自分に落胆し、
さまざまな不安を前に、
茫然(ぼうぜん)とするだけだった。
ただ、不眠不休で働いているであろう、
さまざまな業種の人たちを見かけたり、
公務員の友人から、
「今ががんばり時だから」と前向きなメールが届いたりすると、
いつまでもおろおろとしているわけにはいかないと感じるようになった。
ブルーハーツの曲ではないけれど、
「この地震でへこたれるために、今まで生きてきたんじゃないのだ」と自分に言い聞かせている。】
(『仙台暮らし』荒蝦夷発行より)
震災による死者15,882名、行方不明者2,668名。
誰もが痛みを抱えながら、4年余りの時が過ぎる。
何かできるわけではないけれど、
今も何となく、がんばらなくちゃとは思っている。

元のブログ

どうすればいいのか、いつ日常に戻れるのか、不安は大きいです。
心が折れそうになる時思い出すことがあります。
「今度は私たちが応援します」
震災の時、助けに来てくれた神戸のボランティアの方のバスに掲げられた垂れ幕。
今でも忘れられません。
感動しそしてなんとかなる気がして。

いつの時も苦しい状況を打破するために大事なこと。
一握りのヒーローではなく善良で無名な一般の人々の努力が世界を救うと信じています。
そんな震災の経験が今にいきています。
ただただ真面目に日常を積み重ね、
しっかりと毎日を過ごせば必ず元に戻ると確信しています。

最後に医療関係者、インフラ関係のお仕事されている方、仕事を休まず働いている方、家庭で子どものために必死な方、全ての方に心より感謝と敬意を表します。

さぁ、がんばろうぜ。

シュナモヒカン部  the schna mohican club

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