●第1回《震災って実際どうなの?》初日夜まで

東日本大震災を経験して災害に対する準備は常に必要と感じてます。
シュナ友達の「むさしくんのママさん」がブログにまとめて書かれているのでそちらもご参考ください
むさしくんのママさんが書かれているのを見て、被災者としていつかは経験したことを書かなくては思っていましたので、これを機会に。
①14:43
大きな揺れ発生
社内にいたが、壁に立て付けてあった本棚が倒れ始める
道路の真ん中でひたすら揺れが収まるまで待つ

※地震慣れはしていて震度5くらいは普通でいられますが、かなりキツかったです。大きさと長さに恐怖を感じた。→6強から7だった。

②揺れが収まり各自一旦自宅の確認へ
一人暮らしは会社で宿泊のため戻ってくる
車で数人を自宅へ
信号は全て機能せず
送り届ける車内で津波の映像を確認
実家はのまれていると確信し両親については諦める
→避難所にいたが、避難所も津波にのまれたことを翌日知る。

③マンションに戻る
ラヴくんが留守番していたので助けに行く
屋根付き大きめのゲージだったので無事
室内はコレクションボックスなど固定していないものは倒れる
→お留守の場所は安全なところで、丈夫なゲージが必要。室内でも倒れるものが一切ない場所へ。

④会社に戻り宿泊の準備
飲み物・食料品を購入→近所のコンビニやスーパーに即買いに
ローソク確保→近隣の方から
ニュースで津波で200名から300名の遺体との情報自宅から数キロ先
→当時は車のテレビかワンセグ、ラジオくらいしか情報収集できなかった

◆ラヴくん
物に挟まれたりしていなくて無事
ゲージが屋根付き大きめで良かった
もしいれていなかったら最悪の結果に
フードやおやつは十分に確保しておく
揺れに対して敏感になる
中にはトラウマになる子も


【メモ】
ここまでで大きな余震数回
電気・都市ガス・水道はストップ
ただしマンション等は水道タンクがあるところ貯水している分だけ水は出る
公園の水道が使えること判明→ポリタンクとそれを運ぶ台車必要
トイレが流せないのは厳しい
マンションで泊まることもできたが陣頭指揮必要なため会社で
プロパンガスは無くならない限り使える
携帯電話はこの時点でつながらず
情報は車のテレビとラジオ
初日1番必要性を感じたのは懐中電灯
インフラは基本県庁や市庁舎、町の中心部から復活してくる
車は宿泊できる用意を

社内に分散して宿泊
ラヴくんはパパとママと車の中で。

●記憶を辿って少しずつ書いていきます。


写真:津波は避難所まで

シュナモヒカン部  the schna mohican club

シュナモヒカン部「ラヴくん」と「ちくわくん。」。シュナモヒカン部のブログなど。

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