3.11 輝かしい戦果も勝利の凱旋もない それでも胸を張れ、半長靴の緒を締めよ
基本的に過去にこだわりがないほうなので、
写真やアルバムの類はほとんど見ないし、
思い出の品なんかはいつの間にか見当たらなくなるタイプです。
もっとも見当たらなくなっても気にしたこともあまりない。
津波でアルバムやレコード、
思い出の品がすべてなくなってしまったけれども、
物はいつか壊れたりするもの、しょうがない。
もちろん、少しくらいは切ない思いはあるけれど。
最近気づいたのは、困ったことに昔の友人の連絡先が分からなくなってしまったこと。
今のように、メールアドレスや電話番号を登録していたわけではなく、
アドレス帳にしか書いていませんでした。
大学時代の友人に連絡する術がなくなりました。
果たして彼らは無事なのだろうか。
いつか機会があれば、
なんとか連絡したいと思っています。
【東日本大震災後に移り住んだ借家は田に囲まれ、肌を切るような風が吹きつける。
今年も、津波が母を奪ったあの春のように寒い。
この2年で身長は7センチ伸びた。
母が喜んでくれる娘になれているだろうか―。小さな心に問いかけている。
宮城県亘理(わたり)町の小学4年、小野望美(のぞみ)さん(10)は午後5時過ぎ、
学童クラブを終えて帰宅すると、
提出日の近づいた宿題をテーブルに広げた。
「10年後の自分」という題で原稿用紙3枚の作文を書き上げなければならないが、
全くはかどらない。
ぽつりとつぶやく。
「なりたいものなんて、まだ分からないよ…。」
だだっ子だった以前なら、母の由美子さん=当時(46)=に泣きついていた。
「お母さんがいなくなって、最初は寂しかったよ。
でも、お父さんやお姉ちゃんもいて、
一人じゃないから、立ち直れた。
私もちゃんとしないといけないからね」
会社員の父、好信さん(52)の帰りは午後10時を過ぎる。
望美さんは洗濯物を取り込むと、
部活がある高校1年の姉、好美(このみ)さん(16)の代わりに、
夕食のみそ汁を作り始めた。
「お母さんが見ていてくれるからね」。
母が未来の望美さんへ宛てて送った手紙を、大切に持っている。
《このてがみがとどいたとき のぞみはどんな子どもになっているでしょうか》
丸っこい筆跡でつづられた母からの手紙が届いたのは、震災から半年後のことだった。
『なぜ?』
家族全員が首をひねった。
望美さんの小学校入学時、母がランドセル会社のタイムレターの企画に応募し、
千日後に娘へ届くようにしていた。
当時の望美さんは母に甘えて、わがままばかり。
けれど、母は受け止めてくれていた。
《げんきに学校にいってくれるだけで おかあさんは、とてもあんしんしていました》
その小学校も被災し、望美さんはいまだに中学校の校舎で授業を受けている。
「小学校を建ててほしい」。
望美さんは1月、亘理を訪れた安倍晋三首相(58)にこう頼んだ。
安倍首相は震災直後、訪れた避難所で母を失いながら辛抱強く生活する望美さんに出会い、
「夢」としたためた色紙を贈った。
それから交流が続く。
1月の所信表明でも望美さんに触れ、
「過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに強く心を打たれた」
と語っている。
台所に立つ姉の横顔やしぐさが、母に似てきた。
「お米をといでいるときなんかそっくりだよ」
と興奮気味に話す望美さんに、
父の好信さんが笑顔でうなずく。
姉は照れくさそう。
父と兄、姉の4人暮らしのだんらんには、母の話題がよく上る。
好信さんは「母親に一番なついていた望美は、
妻のひつぎにすがりついて泣いた。
私以上にこたえているはずだ。
なのに我慢するこの子の姿に、
その気丈さに、親としてどれほど救われたかしれない」と話す。
一方で、好信さんは娘の傷ついた心がまだ癒えてはいないことも知っている。
震災前は母と寝ていた望美さんは震災の後、
好信さんの隣で寝るようになった。
朝になれば、いつも父の腕を握っている。
「母親との別れがあまりにも急だったから、
私がいなくならないように、
無意識のうちに確認しているのだと思う」
集団移転が本格的に始まるのを前に、
町内の随所で地面のかさ上げの造成工事が始まった。
一家は津波の届かない高台に150坪の土地を買い、
新しい家を建てて、
来年の夏には引っ越す予定だ。
家族で話し合って「お母さんも気に入りそうだね」と、
南向きの日当たりのよい場所を選んだ。
来年の秋には、望美さんが待ち望んだ小学校の新しい校舎も完成する。
「ペットショップの店員がいいかな…。やっぱり、動物園の飼育係もいいな」
小さな手に握った鉛筆が動き始めた。
未来を思い描く原稿用紙に、
母に似た丸っこい文字が並んでいく。】
震災から、2年。
沿岸部はいまだ荒れ果てた土地が広がっています。そこはまるで元から空き地だったかのように。
県内各所にある仮設住宅。不自由な生活を強いられている多くの人々。
未だに見つからない多くの人々。
ふとした時、やりきれない想いに襲われます。
東日本大震災
何気ない日々の幸せや命の大切さを知るには、あまりにも過酷過ぎる代償でした。
『悲しみを胸に秘めて幸せの歌を歌えば、
悲しさの中に火が灯るのだ。
拍手があれば、
その灯は明るさを増すだろう。』
(「女の学校」佐藤愛子著)
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